【特別寄稿】造形家 / 映画監督 片桐裕司の いろいろあっていいんじゃない?|エピソード47:特殊メイクアップアーティストを目指して

ハリウッドで彫刻家、キャラクターデザイナー、映画監督として活動。日本で開催する彫刻セミナーは毎回満席の片桐裕司さんのエッセーです。肩の力を抜き、楽しんでお読みください!


片桐 裕司 / HIROSHI KATAGIRI
彫刻家、映画監督

東京生まれ、東京育ち。1990年、18歳のときに渡米。スクリーミング・マッド・ジョージ氏の工房で働きはじめる。98年にTVシリーズ『Xファイル』のメイクアップでエミー賞受賞。その後、『ターミネーター』『エイリアン』『ジュラシックパーク』のキャラクタークリエーション等で有名なハリウッドのトップ工房スタンウィンストン スタジオのメインアーティストとして活躍(2000〜6年)『A.I.』『ジュラシックパーク』『タイムマシーン』『宇宙戦争』等の制作に携わる。現在、フリーランスの造形家、映画監督として活躍中。
東京生まれ、東京育ち。1990年、18歳のときに渡米。スクリーミング・マッド・ジョージ氏の工房で働きはじめる。98年にTVシリーズ『Xファイル』のメイクアップでエミー賞受賞。その後、『ターミネーター』『エイリアン』『ジュラシックパーク』のキャラクタークリエーション等で有名なハリウッドのトップ工房スタンウィンストン スタジオのメインアーティストとして活躍(2000〜6年)『A.I.』『ジュラシックパーク』『タイムマシーン』『宇宙戦争』等の制作に携わる。現在、フリーランスの造形家、映画監督として活躍中。

エピソード47:特殊メイクアップアーティストを目指して

やるならば、中1の時に手にした本『特殊メイクの世界』に描かれていたアメリカのハリウッドでやってみたいという気持ちが心の中にメラメラと湧いてきた 当時 高校2年の片桐さん。そして...

>>> エピソード46:ハリウッドで特殊メイクの仕事をするきっかけ のつづき

さて、高校2年の2月頃に「卒業したらアメリカに行こう」と決心した私は、まず、英会話学校に通うことにしました。それからバイトも始めました。ものすごくありがたいことに「大学に行く代わりにアメリカに行かせてくれ」という私の頼みに、両親も戸惑いながらも応じてくれて、とりあえず行って生活するには経済的には問題なかったのですが、少なくとも、その時は、親の負担をなくそうと思ったからです。

学校での英語の授業は本当に嫌いで、皆からも「こんなんでアメリカで生活できるのか」と言われましたが、後になって思ったのですが、どうやら、私は使えない学問が嫌いだったようです。数学の授業で サイン、コサイン、タンジェントなど、未だにわけのわからない数式を学んだ時に、先生に「一体これは何に使うのですか?」と聞いたことがあります。先生は言葉を濁して、ちゃんと答えてくれませんでした。

何のためにするのか? どのようなことに役に立つのか?
これが分からずに勉強に身が入るわけがありません。

私のこの姿勢は未だに変わりません。学校の英語の授業もそれと同様でした。英会話学校に通いだして「使うための英語」というものを知りました。正直、それが楽しくてしょうがありませんでした。そして、一生懸命勉強しました。

高3の夏休みは、英会話学校の夏期集中コースというのもとって、その時は、頭の中の日本語を一生懸命排除しようと努力していました。しかし、夏休みが明け、学校に行き、英語の授業に出ると先生は英文を読んだ後、自動的に日本語訳を読む。せっかく、頭の中の日本語をなくそうと努力している最中に、その授業は害でしかありませんでした。

そして、私は、英語の授業中にウォークマンで英会話のテープを聴いて「俺の英語の勉強を邪魔するな!」って感じで、英語の授業を一切聞かなくなりました。

時々、日本の人たちに「英語はもう完璧ですか?」と聞かれるのですが、私は決まって、こう聞き返します。「じゃあ、あなたの日本語は完璧なのですか?」と。私にとっての英語は、大学に行くためでもなく、テストでいい点を取るためでもなく、翻訳家になるわけでもありませんでした。英語を完璧に話せるようになろうとは思ったことがありません。

私にとっての英語は、目的でなく手段でした。何の手段だったかというと、アメリカで生活でき、仕事ができるようになるための手段で、英語を完璧に話せるようになる事がゴールではありませんでした。実際、完璧なんてありえないんですけどね。

何が言いたいのかというと、何をするにしても「なぜこれをするのか?」「何ができるようになりたいのか?」を考えて行動すれば、かなり無駄が省けるということです。 話は逸れましたが、アメリカに行く前の高3の頃にしていた準備は、英会話と、以前にも書いた特殊メイクの実践などでした。(※エピソード15:はじめての特殊メイク 参照)

18歳の頃 初めてのアプライエンス(顔に貼り付けるピース)を使った特殊メイク。ひどすぎる...

誰一人として知り合いのいない国へ1人で行くわけですから、どこへ行くかを決めなければなりません。とりあえず、たまたま、新聞にアメリカで特殊メイクを学んだという人の記事が載っていて、そこに、学校の名前が載っていたので、その学校の情報を集めることにしました。

インターネットのない時代。親に聞いても、海外の情報なんて知るわけもありません。しかし、どこかの知り合いから日米留学センターという国の機関が存在することを知りました。そこに行けば、様々な学校の情報を得られて、英語のサポートもあるということでした。それで、学校の名前と電話番号を頼りにそこに行き、センターのサポートを得て、その学校に資料請求しました。今思うと本当に1人でよくやったと思います。「よくやった」と いい子いい子 してください。高い高い してください。

正直言って、最初にこの道を目指した時の気持ちは「日本にはこの技術はまだないし、身につけたらなんとかなるかな? もしダメでも英語も話せるようになってるだろうし、どうにかなるでしょう」というような軽い感じだったと思います。

しかし、行動してみると、人間だんだん真剣になっていくものなんですね。若い人たちで「将来こんなことがしたいけどどうしよう」と悩んでる人たち。私のアドバイスは、とりあえずやってみること。行動してみることです。 それによって、色々な考えが出てきて、合う合わないもわかってくるし、また、ちょっと違う道が開けてくることもあるし、とにかく行動することです。「どうしよう?」と悩んで何もしない1年と「とりあえず 何かやってみる」と実践して過ごす1年は、確実に結果は違います。

行動すること。これが何よりも大事ですね。

そんな感じで高校を卒業し、初めての外国、初めての飛行機、初めての1人暮らしに向けて、誰一人として知り合いのいない国アメリカに向け、18歳の若造は出発したのでした。

ででんでんででん(そのうち つづく)

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