【特別寄稿】造形家 / 映画監督 片桐裕司の いろいろあっていいんじゃない?|エピソード46:ハリウッドで特殊メイクの仕事をするきっかけ

ハリウッドで彫刻家、キャラクターデザイナー、映画監督として活動。日本で開催する彫刻セミナーは毎回満席の片桐裕司さんのエッセーです。肩の力を抜き、楽しんでお読みください!


片桐 裕司 / HIROSHI KATAGIRI
彫刻家、映画監督

東京生まれ、東京育ち。1990年、18歳のときに渡米。スクリーミング・マッド・ジョージ氏の工房で働きはじめる。98年にTVシリーズ『Xファイル』のメイクアップでエミー賞受賞。その後、『ターミネーター』『エイリアン』『ジュラシックパーク』のキャラクタークリエーション等で有名なハリウッドのトップ工房スタンウィンストン スタジオのメインアーティストとして活躍(2000〜6年)『A.I.』『ジュラシックパーク』『タイムマシーン』『宇宙戦争』等の制作に携わる。現在、フリーランスの造形家、映画監督として活躍中。
東京生まれ、東京育ち。1990年、18歳のときに渡米。スクリーミング・マッド・ジョージ氏の工房で働きはじめる。98年にTVシリーズ『Xファイル』のメイクアップでエミー賞受賞。その後、『ターミネーター』『エイリアン』『ジュラシックパーク』のキャラクタークリエーション等で有名なハリウッドのトップ工房スタンウィンストン スタジオのメインアーティストとして活躍(2000〜6年)『A.I.』『ジュラシックパーク』『タイムマシーン』『宇宙戦争』等の制作に携わる。現在、フリーランスの造形家、映画監督として活躍中。

エピソード46:ハリウッドで特殊メイクの仕事をするきっかけ

今回は、私が「アメリカに行って特殊メイクの仕事をしよう」と決めたきっかけと、そのプロセスについて書こうと思います

両親が映画が好きで、小さい頃から、9時になるとテレビで何かしらの映画を見ていた記憶があります。でも、小さい時は10時に寝かせられたので、今でも、途中で見るのをやめなければならなかった悔しさを覚えています。父はよく、アクションやSF映画、果ては、当時の小学生はまず見ないであろう西部劇などを見に、映画館に私を連れて行ってくれました。母はよく、名画と呼ばれる映画やミュージカルなどを家で見ていて、テレビがついてると、ついつい自分も引き込まれて見ていました。

そんなわけで、小さい頃からジャンルを問わず、ありとあらゆる映画を見てきました。お小遣いも大半は映画鑑賞に使ってきました。その中でも特に、映画に出てくるクリーチャーとかの作り物に興味を持っていました

しかし、当時は「それが仕事になる」なんて考えはありませんでした。小学生の頃は体を動かすのが大好きで、ちょうど、アクション俳優の 千葉真一ジャパンアクションクラブ(JAC)という団体を立ち上げ、真田広之 がそこからデビューして大活躍しており、ジャッキー・チェン の大ファンであった私としては、JAC に入ってスタントマンになる夢を持っておりました。

小学5年の冬休み、ジェット・リー のデビュー作、映画『少林寺』と特殊メイクの革命的映画、ジョン・カーペンター監督の『遊星からの物体X』(原題:The Thing)が公開されていて、自分のお小遣いで観れる映画を1本に絞らなければいけませんでした。

カンフーをふんだんに使った リー・リンチェイ(ジェット・リー)のデビュー作、映画『少林寺』。とにかくアクションがすごい!

ジョン・カーペンター監督の『遊星からの物体X』(原題:The Thing)。"特殊メイクの革命" というほど、今見ても、この映画で使われた技術はすごいです

80年代初頭に このクオリティが出たのですから恐ろしい

そして迷った末に、私が選んだのは『少林寺』でした。面白いものです。当時は 特殊メイクバリバリの『遊星からの物体X』でなく、アクション映画を選んでしまったのですから。それから、小学6年の時に、マイケル・ジャクソン のミュージックビデオ「スリラー」が世界中で大ヒットしました。

マイケル・ジャクソンのミュージックビデオ「スリラー」

大量のゾンビが墓から蘇り、マイケルとともに踊るという 内容的にも映像的にも衝撃的なもので、連日のようにテレビで特集されていたように覚えています。その当時は、特殊メイクの革命的な技術革新があり、『ハウリング』(原題:The Howling)や『狼男アメリカン』(原題:An American Werewolf in London)、そして、ジョージ・A・ロメロ監督の『ゾンビ』(原題: Dawn of the Dead)など、特殊メイクをかなり中心に添えた映画がバンバン出てきた時代でした。そんな中、中学校に入り、そこである運命の出会いがありました。

運命の出会い。以前にも紹介した本『特殊メイクの世界』(※エピソード15 参照)

中1の時、これを学校帰りの本屋で発見し、衝撃を受けました。「こんな仕事が存在するんだ!」 今までは、ただ観客として見ていたものが、実は、それらを作っている人たちがいて、そういう仕事が存在すると認識した大きい出来事でした。値段は1300円。中学1年の私にとっては結構な値段でした。当時、漫画の単行本が1冊360円だったので。買わないながらも、ほぼ毎日、本屋に寄って、立ち読みしていたのを覚えています。

ある日、2冊あったその本が1冊だけになっていて、焦りを感じながらも まだ買えずにいました。そして「ちょっと忘れよう」と思って、しばらく本屋に行くのをやめたのです。その期間がどれくらいだったかは覚えていません。しかし、心の中の好きな事への興味の熱は そう簡単には消せません。ある日「もし今日行って、まだその本があれば買おう」と決心しました!

果たして...
そう! まだ、売れずにそこに置いてあったのです。

今でもふと思うのですが、もし、あの時、本が売れてなくなっていたら、今の自分は確実になかったと思います。まさに運命の出会いです! それから毎日、貪るように読みました。友人に「こんな仕事をしたい」と言ったら、笑われたのを今でもよく覚えています。「できるわけないじゃないか」と思われたのでしょう。

しかし「そのやりたい思いがずっと続いたのか?」といえば、そんなことはありません。学生生活に埋もれて、いつしか、その夢もしまいこんでいました。そして、受験を経て普通の高校に入り、高校2年になっていました。私の映画好きは相変わらずでしたが「この仕事をしよう」という思いは いつしか消えていました。それよりも演劇部にいたので「役者になりたい」という思いの方が強かったのです。そして、高校2年の終わりに大学へ行くための受験勉強を始めました。

2ヶ月くらいは真面目にやったと思います。でも、どうしても勉強を好きになれない。「嫌いなことはどうしてもできない」という元来の根強い性格があるのです。そこでふと、自分の将来について考えました。

このまま頑張って勉強して大学に行ったとして、自分はそこで何をするだろう?
うん... 遊ぶだろうな、4年間。
まあ遊ぶのはいいとして、4年経って卒業して何になるだろう?
うん... サラリーマンしか出てこないな...。
サラリーマンやりたいかな...?
いや! 絶対にやりたくない!

サラリーマンの方々には申し訳ないです。決して馬鹿にしてるわけではありません。子供心に正直にやりたくないと思ったのです。「では代わりに何をすればいいのか?」と考えた時、中1の時に見た夢、「特殊メイクアップアーティスト」という選択肢が出てきました。

80年代当時の日本は「特殊メイク技術」なんてものはほぼなく、ある日本映画に ちぎれた手のどうしようもない作り物が出てきて「それがすごい」とニュースで取り上げられたりと、「日本でやってもダメだ」と私はすでに、その時に思っていました(笑)。やるならば、中1の時に手にした本に描かれている世界 「アメリカはハリウッドでやってみたい」という気持ちが、当時 高校2年の私の心の中にメラメラと湧いてきたのです。

デデンデンデデン!(つづく

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