【特別寄稿】造形家 / 映画監督 片桐裕司の いろいろあっていいんじゃない?|エピソード53:スタン・ウィンストン・スタジオ裏伝説

ハリウッドで彫刻家、キャラクターデザイナー、映画監督として活動。日本で開催する彫刻セミナーは毎回満席の片桐裕司さんのエッセーです。肩の力を抜き、楽しんでお読みください!


片桐 裕司 / HIROSHI KATAGIRI
彫刻家、映画監督

東京生まれ、東京育ち。1990年、18歳のときに渡米。スクリーミング・マッド・ジョージ氏の工房で働きはじめる。98年にTVシリーズ『Xファイル』のメイクアップでエミー賞受賞。その後、『ターミネーター』『エイリアン』『ジュラシックパーク』のキャラクタークリエーション等で有名なハリウッドのトップ工房スタンウィンストン スタジオのメインアーティストとして活躍(2000〜6年)『A.I.』『ジュラシックパーク』『タイムマシーン』『宇宙戦争』等の制作に携わる。現在、フリーランスの造形家、映画監督として活躍中。
東京生まれ、東京育ち。1990年、18歳のときに渡米。スクリーミング・マッド・ジョージ氏の工房で働きはじめる。98年にTVシリーズ『Xファイル』のメイクアップでエミー賞受賞。その後、『ターミネーター』『エイリアン』『ジュラシックパーク』のキャラクタークリエーション等で有名なハリウッドのトップ工房スタンウィンストン スタジオのメインアーティストとして活躍(2000〜6年)『A.I.』『ジュラシックパーク』『タイムマシーン』『宇宙戦争』等の制作に携わる。現在、フリーランスの造形家、映画監督として活躍中。

エピソード53:スタン・ウィンストン・スタジオ裏伝説

3回にわたりお伝えした 特殊メイクの伝説、スタン・ウィンストン氏 と そのスタジオ Stan Winston Studio(スタン・ウィンストン・スタジオ)のエピソードですが、今回は、表では語られない貴重なネタを3つ紹介したいと思います

>>> エピソード48:伝説のスタン・ウィンストン氏との思い出
>>> エピソード49:スタン・ウィンストン・スタジオの面接
>>> エピソード51:スタン・ウィンストン・スタジオの思い出

1. ターミネーターの誕生

実は、最初に『ターミネーター』の特殊メイク・造形を頼まれたアーティストは スタン・ウィンストン ではなかったのです。

映画『ターミネーター』(1984年)

最初に依頼を受けた人物、それは、ジェームス・キャメロン 監督の学生の頃の知り合いであった Alec Gillis(アレック・ギリス)という人。彼は、私が携わった『ドラゴンボール・エボリューション』(※エピソード2、3、6、8、10:DRAGONBALL EVOLUTION 参照)や『AVP2 エイリアンズVS.プレデター』(※エピソード16:エイリアン vs プレデター vs アバター!? 参照)を手がけた ADI という工房の社長でもあります。

ジェームス・キャメロン が アレック に「ものすごい映画を作るんだけど、是非、君に、その作り物を担当して欲しい」と打診したそうです。しかし、アレックは、その当時全くの無名であった キャメロン の将来を疑っていました。そして、なんと、その時に携わっていた『13日の金曜日・完結編』が忙しいのを理由に、そのオファーを断ってしまったのです! あろうことか、ターミネーターよりジェイソンを選んでしまったのです!

映画『13日の金曜日・完結編』(1984年)

結果、そのプロジェクトは スタン・ウィンストン に流れて、その後は、皆さんの知るとおりです。スタン は キャメロン に気に入られ、『エイリアン2』の作り物も手がけ、何十年経った今でも有名なエイリアン・クイーンなどを生み出すことになります。

2. 映画『プレデター』は、シュワルツェネッガー vs ヴァン・ダム!?

当初、『プレデター』のクリーチャーは Boss Film Studios という、スター・ウォーズ のVFXを担当した Richard Edlund(リチャード・エドランド)という人の会社で製作されていました

映画『プレデター』(1987年)

当時は、ネットはおろか、ファックスすらもない時代だったので、すでに南米で撮影を始めている監督は「ロサンゼルスで どんなクリーチャーが作られているのか」を知る由もありませんでした。そして、送られてきたクリーチャースーツを見てびっくり! ひどい出来とは言いませんが、かなりチープに見えるものだったようです。そして、それを着て演技をしていたのは、なんと、無名時代の ジャン=クロード・ヴァン・ダム

のちに ジャン=クロード・ヴァン・ダムが主演した映画『キックボクサー』(1989年)

彼は自分を売り込むのに必死だったため、「俺はもっとこんなことできる」「そんな動きでなく こうさせろ」とか、監督の言うことを素直に聞かず自分を主張しまくり、挙げ句の果てには「このクリーチャーの首に穴を開けて、俺の顔が見えるようにしろ!」とまで言ってきたそうです。

少し撮影してみたものの、やはり、このままではチープなB級映画になってしまうことを危惧した監督は、プレデタースーツのやり直しをプロデューサーに頼んだのです。そこで、この映画の主役であるシュワちゃんが「いい人物がいる」と『ターミネーター』で一緒に仕事をした スタン・ウィンストン を紹介したのです。ターミネーター同様、プレデターも最初からスタンのところに仕事が来ていなかったところに運命の面白さを感じますね。

しかし、スタンは、その時、自分の監督映画『パンプキンヘッド』の方に重きを置いていて、『プレデター』は ついでの仕事でした。彼はほとんど『プレデター』には関与せず、新たに雇った Steve Wong(スティーブ・ワン)と Matt Rose(マット・ローズ)という、その後、業界のレジェンドとなる若い2人に任せて、ほぼ ほったらかしだったのでした。歴史に残るクリーチャーの傑作、プレデターはこうして 生まれたのでした。

スタン・ウィンストン監督作品、映画『パンプキンヘッド』(1988年)

歴史に残るクリーチャーの傑作、プレデター

3. ジェイソン(13日の金曜日)、ホッケーマスクの謎

ジェイソンのトレードマークであるホッケーマスク。これが登場したのは、3作目の『13日の金曜日 PART3』の時でした。マスクの下のジェイソンの素顔は、とってもおぞましく醜い顔。その特殊メイクを頼まれたのは スタン・ウィンストン でした。『ターミネーター』よりもずいぶん昔の話ですね。

映画『13日の金曜日 PART3』(1982年)

撮影が始まり、スタン が ジェイソンの顔の特殊メイクを施したところ、それがあまりにもひどい出来だったので、監督はそれを使わずに、誰か違う人に頼むことを決断。しかし、撮影は始まっているので、新しいメイクのピースが出来るまでは、何かで顔を隠さなければならない。すると、たまたま、その映画にいた AD が昔アイスホッケーをやっていて、ホッケーのキーパーのマスクを持っていたのである。あの有名になったジェイソンのホッケーマスク。あれは、ひどいメイクを隠すために偶然生まれたという...。しかも、その原因を作ったのは、あの、スタン・ウィンストン だったという面白いエピソードです。

ホッケーマスクを着けたジェイソン

真偽のほどは定かではありませんが、これは スタン の側近のスーパーバイザーから直に聞いた話です。

以上、現場からレポートでした!

 

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