【特別寄稿】造形家 / 映画監督 片桐裕司の いろいろあっていいんじゃない?|エピソード51:スタン・ウィンストン・スタジオの思い出 -A.I. と ジュラシック・パークIII と マイケル-

ハリウッドで彫刻家、キャラクターデザイナー、映画監督として活動。日本で開催する彫刻セミナーは毎回満席の片桐裕司さんのエッセーです。肩の力を抜き、楽しんでお読みください!


片桐 裕司 / HIROSHI KATAGIRI
彫刻家、映画監督

東京生まれ、東京育ち。1990年、18歳のときに渡米。スクリーミング・マッド・ジョージ氏の工房で働きはじめる。98年にTVシリーズ『Xファイル』のメイクアップでエミー賞受賞。その後、『ターミネーター』『エイリアン』『ジュラシックパーク』のキャラクタークリエーション等で有名なハリウッドのトップ工房スタンウィンストン スタジオのメインアーティストとして活躍(2000〜6年)『A.I.』『ジュラシックパーク』『タイムマシーン』『宇宙戦争』等の制作に携わる。現在、フリーランスの造形家、映画監督として活躍中。
東京生まれ、東京育ち。1990年、18歳のときに渡米。スクリーミング・マッド・ジョージ氏の工房で働きはじめる。98年にTVシリーズ『Xファイル』のメイクアップでエミー賞受賞。その後、『ターミネーター』『エイリアン』『ジュラシックパーク』のキャラクタークリエーション等で有名なハリウッドのトップ工房スタンウィンストン スタジオのメインアーティストとして活躍(2000〜6年)『A.I.』『ジュラシックパーク』『タイムマシーン』『宇宙戦争』等の制作に携わる。現在、フリーランスの造形家、映画監督として活躍中。

エピソード51:スタン・ウィンストン・スタジオの思い出 -A.I. と ジュラシック・パークIII と マイケル-

『ターミネーター』『エイリアン』『ジュラシック・パーク』.. 80年代から90年代のハリウッド大作映画のクリーチャーのほぼすべてを生み出したと言っても過言ではない Stan Winston Studio(スタン・ウィンストン・スタジオ)。最初の面接から5年...

>>> エピソード49:スタン・ウィンストン・スタジオの面接 のつづき

憧れの スタン・ウィンストン・スタジオ での2回目の面接は、私が27歳の時。前回よりちょっぴり大人になり、そして、腕も、スランプを乗り越えたばかりでだいぶ上がっておりました(※エピソード21:私に芸術の才能はない 参照)。

面接は、前回と同じ、あのディスプレイルーム! 周りの造形物に圧倒されながらの面接は、やはり、緊張するものがありました。そして、結果は無事採用!

とりあえず、2週間のテスト期間があって、それで合格すれば、ずっと雇ってくれると言うじゃ あ~りませんか! おそらく、その2週間は、人生で最も緊張した2週間であったと思います。

その時のプロジェクトは スティーヴン・スピルバーグ監督 の『A.I.』。そして、しょっぱなの仕事は「主役のヘイリー少年のダミーを任される」という とっても重たい任務なのでした。ええ! そうです! 緊張しましたとも! ちびりましたとも! 完全漏らしきりのビショビショ状態でしたとも!

主役のヘイリー少年のダミーを制作中の片桐さん

そして、その制作段階で、スピルバーグ監督に会う事も出来ました! そうです!ちびりましたとも!(以下略)

スタン・ウィンストン が、スピルバーグ監督にあれこれ説明しながら話していて、監督は、ヘイリーくんの造形を見て、私に向かって「さすがだね」という感じの言葉を笑顔とともにくれました。とても嬉しいエピソードでした。

スピルバーグ監督と私 右端にいるのがスタン・ウィンストン

ちなみに、スピルバーグ監督の後ろの壁にかかってる Tレックスの頭は『ジュラシック・パーク』で実際に使われたやつです。「あの鼻の穴に粘土を投げいれる」という罰当たりな遊びをよくしたものです。とかなんとかやっている間に2週間のテスト期間も過ぎて、無事、仕事を続けられることになったのです。

そして、それと同時に、そこでは『ジュラシック・パークIII』も進行しておりました。仕事の初日に工房で見た光景は、今でも心の中に強く焼きついています。それは、スピノサウルス等身大の彫刻。見上げるくらい巨大な恐竜の造形を目の前にするのは、とてつもない迫力があります。

スピノサウルス等身大の彫刻

私は、他の仕事がちょうど空いた時、このディテールを半日ほど手伝っただけですが、おそらく、これは「映画史上最後の巨大造形生物」になったと思います。その記念すべき作品が作られた その場に居合わせることができたということは、今考えても幸運だったと思います。それを目の前で見て、その迫力を全身に感じた経験は何物にも代えがたいものがあります。CG の発展により、おそらく、もう2度と映画でこんな巨大生物が作られることはないだろうから...。

それから、私が携わった『ジュラシック・パークIII』の仕事は、プテラノドンの造形。それと、液体に入った実験中の恐竜(※残念ながら写真はありません)、そして、ラプトルを呼ぶための笛の原型などです。

私は、大勢いた造形チームの1人です

また、『A.I.』では、ショーで破壊されるロボットの造形、未来に出てくる進化したロボットの造形(※残念ながら CGに変わりました)などです。これらは、ハリウッドの技術が世界の最先端を行っていた中での仕事で、とてもいい時代だったと改めて思います。

それから、もう1つエピソードを。

何の仕事をしていたか忘れましたが、彫刻の部屋で、ただ1人彫刻していた時の出来事です。黙々と造形する私の仕事を、後ろからじっと黙って見ている人がおりました。 

この スタン・ウィンストン・スタジオ はものすごく面白い工房なので、従業員の家族や友人など多くのゲストがスタジオによく来ていました。後ろに立っている人もそんな連中の1人だろうと思い、「そのうちどこかへ行くだろう」と無視して仕事を続けておりました。でも、何もしゃべらずに、ただじっと見ているので、私は「うっとおしいなぁ」と思いつつ、振り向き、ちらっと彼を見て「ハーイ」と挨拶すると、向こうも「ハーイ」とおとなしい返事をしました。顔を怪我しているのか、鼻にガーゼをつけていました。

その後、私はまたすぐに向き直って、仕事を続けました。邪魔だったので「話しかけるなオーラ」を発しながら...。そして、後になって、同僚が入ってきて「マイケルに会ったか?」と聞いてきました。マイケルなんて、そこらじゅうにいる名前なので「どのマイケルだ?」と聞き返すと、同僚は間髪入れず「ジャクソンだよ!」と言ってきました。

マイケル、、、 ジャクソン、、、

唐突な答えに訳が分からず、内容を理解しようとしてたら あっ!!「あの時の邪魔なおっさんは マイケル・ジャクソン だったのか!!」という事に気づいたのでした!

マイケル・ジャクソン と2人きりで同じ部屋にいながら、しかも、目の前で向き合ったのに、そうとは気づかずに、それどころか「邪魔するなオーラ」まで発していたなんて...。これが私とマイケルの唯一の出会いでした。ちょっぴり後悔した出来事なのでした。アゥ!!

 

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