【特別寄稿】造形家 / 映画監督 片桐裕司の いろいろあっていいんじゃない?|エピソード54:『遊星からの物体X』『ロボコップ』.. 憧れのロブ・ボーティンの工房
ハリウッドで彫刻家、キャラクターデザイナー、映画監督として活動。日本で開催する彫刻セミナーは毎回満席の片桐裕司さんのエッセーです。肩の力を抜き、楽しんでお読みください!
エピソード54:『遊星からの物体X』『ロボコップ』.. 憧れのロブ・ボーティンの工房
今の私の仕事に多大な影響を与えた映画は数多くあります。そして、日本にいた頃から、特殊メイクを多く使っている映画は「どのアーティストが携わったのか」というのを結構チェックしていました。その中で、特に、Robin R. Bottin(ロブ・ボーティン)というアーティストにものすごい感銘を受けていました。
ロブ・ボーティンが特殊メイクに携わった作品には、『遊星からの物体X』(1982年)を始め、トム・クルーズ主演の『レジェンド / 光と闇の伝説』(1985年)や、『ロボコップ』(1987年)、そして、『トータル・リコール』(1990年)などがあり、彼がSF大作映画に与えたインパクトは計り知れないものがあります。
82年に公開された作品だけど、今見てもすごい!(『遊星からの物体X』より)
このキャラのインパクトは衝撃でした(トム・クルーズ主演映画『レジェンド / 光と闇の伝説』より)
これもまた、『レジェンド / 光と闇の伝説』のキャラクター
『ロボコップ』も衝撃でした! 高校1年の時に見ました
おばちゃんの顔からシュワちゃんが出てくるシーンは今でも名シーンです(『トータル・リコール』より)。アメリカに渡って最初に見た映画がこれ! 字幕がないので、英語がよくわからなくてもめちゃくちゃ面白かった!
アメリカに渡り、この業界に入った時、「いつか ロブ・ボーティンの工房で仕事をしたい」というのが私の夢でした。その機会は 25歳の頃やってきました。業界に入って、5、6年の頃です。ちょうど、日本の富士ゼロックスのコマーシャルの仕事(E.T.が出てくるやつ)を終えて、そこの工房で『ミミック』(1997年)という ギレルモ・デル・トロ のハリウッド初監督映画の仕事が始まって、クリーチャーデザインを始めたばかりでした。
ロブ・ボーティンの工房で、『ザ・グリード』(原題:Deep Rising /1998年)という映画でアーティストを募集しているという噂を聞き、自分の作品の写真を送ってみたところ、面接してくれることになったのです。
『ザ・グリード』(原題:Deep Rising /1998年)
とにかく、憧れのロブ・ボーティンのところで働けるチャンスが浮上したので、思い切って、『ミミック』の仕事を恨まれながら辞めたのでした。ところが、面接に行ってみたところ、当のロブ本人は不在、コーディネーターの人しかおらず、「ポートフォリオをロブに見せたいので置いていってくれないか」と言われて、その日はポートフォリオを置いて、帰ってきたのでした。
「『ミミック』には戻れないし どうしようかなぁ」と悶々と待つこと数日...。家の電話が鳴り、出てみると、それは、ロブ・ボーティンからではなく、他の工房 ADI (※エピソード2、3、6、8、10:DRAGONBALL EVOLUTION /エピソード16:エイリアン vs プレデター vs アバター!? 参照)からでした。
『エイリアン4』(1997年)が始まるので、ぜひ雇いたいとのこと。「うお?!! エイリアン4 !!」と思わず飛びつきそうになりつつも、「ロブ・ボーティンの工房の返事を待っているところだから、先方に聞かないとわからない」と答えて電話を切りました。すると、5分くらいで 再び ADI から電話が来て、「明日から来ていいよ~。今回は エイリアン・クイーンも出るし、ミュータントとか面白い作り物がいっぱいあるよ~」と悪魔の誘惑をしてきました。これを断るのは相当辛い...。とにかくどうにか、「ロブのところで聞いてみるから、それまで待ってくれ」と言い、電話を切りました。
そして、その旨をすぐ、ロブ・ボーティンのコーディネーターに伝えたところ、「え? こっちは雇うつもりだよ」というあっさりとした答え、『エイリアン4』は断ることになりました。こうして、『エイリアン4』に後ろ髪を引かれつつ、憧れのロブ・ボーティンのところでの仕事が始まったのでした。
さて、そこで 私が最初に造形したのは『グリード』のクリーチャーの1本の触手。長さは2メートルちょっと。そして、なんと その造形にあてがわれた時間は6週間! 1ヶ月半もの時間を、その1本の触手のためにくれたのでした。
今ではとても考えられない時間なのですが、当時でも、他の工房と比べても、異常な時間のかけ方でした。「造形を素晴らしいものにするためには異常に時間をかける」 それが、ロブのポリシーでした。そして、「完璧に作って欲しい」という恐ろしいプレッシャーの下、なんとか仕上げることができたのでした。そこでの経験は過酷なものでした。
ロブという人間は、とてつもない完璧主義者で、自分の思い通りに100%ならないと、絶対にオーケーしないし、とにかく、ギリギリまで粘るのです。どれくらいギリギリかというと、こんなエピソードがあります。トム・クルーズ主演の映画『ミッション:インポッシブル』(1996年) の、顔の変装用の特殊メイクのピースについての恐ろしいエピソードです。
「ロブが、あるアーティストの担当していた造形になかなかオーケーせず、本当に限界まで変更が重ねられ、ようやくオーケーが出て、その夜、一晩で型をとり、中にフォームレイテックスという素材を流し込み、それをオーブンで焼き、その型をオーブンから出して、そのまま、スタッフがタクシーに乗り込み、撮影の現場に行く飛行場に向かうタクシーの中でその型を開けて、トムの顔に貼り付けるピースを取り出した」という話です。ピースがうまく焼けていなかったら、撮影はおじゃんになっていたところです。
『ハウリング』(原題:The Howling / 1981年)という映画では、納得のいく狼男のメイクがなかなか完成せずに、撮影を散々待たせて、「できた?!!」といってセットに行ったら、撮影が終了していて、誰もいなかった なんていうエピソードもあります。
ロブ・ボーティンの工房での私の最初の仕事である「触手」はどうにか完成しましたが、正直言って、当時25歳の私は、その工房のレベルには達していなかったと思います。それ以降、クリーチャーの犠牲者の体の造形や、他の触手の造形などに関わりましたが、ロブはおろか、自分も納得いくものにはできませんでした。やり直しの繰り返しで、自分の気力と体力がどんどん削がれていきました。振り返ってみると、プレッシャーに負けてしまっていたのだと思います。
ロブ・ボーティンという人物は、21歳の時に『ハウリング』の特殊メイクを手掛けて、「スクリーン上で人間がリアルタイムで狼に変身する」という特殊メイクで、世界をアッと言わせました。
『ハウリング』(原題:The Howling / 1981年)
それから、24歳の時に『遊星からの物体X』で、まさに奇跡のような映像を生み出しました。1980年代初頭。世界でも こんなことをできる人物は限られているので、当時は、全て彼の思い通りにできました。彼がいなければ、映画が成り立たなかったからです。80年代は「特殊メイクが主役になり得る」 そういう時代だったのです。「自分の工房から作られたもので、自分の納得がいかなかったら、映画に写すことは許さん!」という態度だったようですが、その時代は、それで許されていました。しかし、時は経ち、特殊メイクの技術も広まりつつある中、そのロブの態度は好まれるものではありませんでした。
ロブは映画の特殊メイクの歴史を作った人物でしたが、90年以降 仕事は減っていき、おそらく、私も携わった『ザ・グリード』が、彼にとって 最後に世に出たクリーチャー映画だと思います。それは残念な結果ではありますが、「いつか ロブ・ボーティンの工房で仕事をしたい」という自分の夢がギリギリ叶った奇跡を、私は噛み締めることになったのでした。
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