【特別寄稿】造形家 / 映画監督 片桐裕司の いろいろあっていいんじゃない?|エピソード92:私のヒーロー、スタローン
ハリウッドで彫刻家、キャラクターデザイナー、映画監督として活動。日本で開催する彫刻セミナーは毎回満席の片桐裕司さんのエッセーです。肩の力を抜き、楽しんでお読みください!

エピソード92:私のヒーロー、スタローン
幼い頃、誰にでも「憧れの人物」はいるものです。私にとっての「それ」は シルベスター・スタローン という役者です。
シルベスター・スタローン(映画『ロッキー』より)
現在 40-50代の男性は、ほぼ皆、彼の主演映画『ロッキー』(1976年)と『ランボー』(1982年)に育てられたと言っても過言でないくらい、私たちの世代に多大な影響を与えました。中学の頃、闘争心のかけらもない私が、この『ロッキー』と『あしたのジョー』に憧れて、ボクシングジムを探したことがあるくらいです。結局、近くになかったので諦めましたが...。
その当時は、スタローン のみならず、シュワちゃんこと アーノルド・シュワルツェネッガー と ジャッキー・チェン といったアクションスターが大活躍していました。小学生の頃の私の夢は「スタントマンになること」で、明らかに、これは、ジャッキーチェン の影響です。
忘れもしない小学5年生の冬休み。限られたお小遣いのため、映画館で観れる映画の数は限られます。その時の私の選択肢は 2つ。SFホラー映画『遊星からの物体X』(1982年)とカンフー映画『少林寺』(1982年)。そのどちらかを選ばなければいけませんでした。
この『遊星からの物体X』のエフェクトは今見てもすごい!
今の40-50代男性は「ハァ〜 ハッ! ハッ! ハッ! ハッハッ!!」といえば、すぐに『少林寺』だとわかるでしょう
そして面白いことに、その当時の私は『少林寺』を選んだのです。あの時『遊星からの物体X』を選んでいたら「一体、私の将来はどう変化したのだろう」と未だに思います。とにかく、子どもの頃は、特殊メイクよりもアクションだったのです。
『ターミネーター』(1984年)でスターになった シュワちゃんは、スタローンの『ランボー/怒りの脱出』(1985年)の大ヒットの後に『コマンドー』(1985年)という ものすごい痛快アクション映画を出します。
映画『コマンドー』。超爽快アクション映画で、これを超える映画は 自分の中ではないなぁ
その時の日本の宣伝は「ランボーを超えた!」といったものでした。しかし、当時、もう1人忘れてはならないアクションスターがいました。その名は チャック・ノリス。
忘れてはならない アクションスター、チャック・ノリス
この人は ブルース・リー の映画の中で、彼と戦って有名になったのですが、私は ブルース・リー ではなく ジャッキー・チェン 世代だったので、彼のことは あまり よく知りませんでした。この チャック・ノリス が『デルタフォース』(1986年)という映画を出した時の日本の宣伝は「ランボー、コマンドーを超えた!」といったものでした(笑)。
『デルタフォース』(1986年)
じゃあ 次にアクション大作が出たら「ランボー、コマンドー、デルタフォースを超えた!」にしなければならないのか!! と 当時、中学生の私は つっこみを入れていたのを思い出します。実際見たら、全然超えてなかったです...。
小学校高学年から中学生の頃の私は「アクション映画」と「ホラー映画」に育てられたと思います。10年以上前になりますが『ロッキー・ザ・ファイナル』(2006年)という「ロッキー」シリーズ作品を見たとき、オープニングでロッキーのテーマが流れたときには、もう ニヤけ が止まらないくらい 興奮する体になってしまったのですから。
スタローンは『ロッキー』だけでなく『ランボー』『コブラ』『オーバー・ザ・トップ』など、数々の筋肉アクション映画で中高生だった私の青春時代を盛り上げてくれました。あの頃は、ボクサーになるか、ロボコップになるか、真剣に悩んだものです。
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