【特別寄稿】造形家 / 映画監督 片桐裕司の いろいろあっていいんじゃない?|エピソード69:1996年の頃。そして、デル・トロ監督との出会い

ハリウッドで彫刻家、キャラクターデザイナー、映画監督として活動。日本で開催する彫刻セミナーは毎回満席の片桐裕司さんのエッセーです。肩の力を抜き、楽しんでお読みください!


片桐 裕司 / HIROSHI KATAGIRI
彫刻家、映画監督

東京生まれ、東京育ち。1990年、18歳のときに渡米。スクリーミング・マッド・ジョージ氏の工房で働きはじめる。98年にTVシリーズ『Xファイル』のメイクアップでエミー賞受賞。その後、『ターミネーター』『エイリアン』『ジュラシックパーク』のキャラクタークリエーション等で有名なハリウッドのトップ工房スタンウィンストン スタジオのメインアーティストとして活躍(2000〜6年)『A.I.』『ジュラシックパーク』『タイムマシーン』『宇宙戦争』等の制作に携わる。現在、フリーランスの造形家、映画監督として活躍中。
東京生まれ、東京育ち。1990年、18歳のときに渡米。スクリーミング・マッド・ジョージ氏の工房で働きはじめる。98年にTVシリーズ『Xファイル』のメイクアップでエミー賞受賞。その後、『ターミネーター』『エイリアン』『ジュラシックパーク』のキャラクタークリエーション等で有名なハリウッドのトップ工房スタンウィンストン スタジオのメインアーティストとして活躍(2000〜6年)『A.I.』『ジュラシックパーク』『タイムマシーン』『宇宙戦争』等の制作に携わる。現在、フリーランスの造形家、映画監督として活躍中。

エピソード69:1996年の頃。そして、デル・トロ監督との出会い

2017~18年、数多くの賞を受賞し、現在、第90回アカデミー賞にも最多13部門でノミネートされている映画『シェイプ・オブ・ウォーター』、そして、『パシフィック・リム』を生み出した ギレルモ・デル・トロ 監督との出会いは、彼のハリウッドデビュー作である『ミミック』(原題:Mimic /1997年)にまで遡ります

1996年の頃。

それは、確か1996年頃だったと思います。あるスタジオで『エスケープ・フロム・L.A.』(1996年)という とてつもなくひどい映画の仕事で雇われました。その映画に使う 俳優 カート・ラッセルパム・グリア のミニチュアの造形をしました。彼らがハンググライダーに乗ってるショットに使うミニチュアです。

 

『エスケープ・フロム・L.A.』(1996年)

1/5スケールの造形 懐かしいなぁ!

カート・ラッセルのミニチュア。色は自分で塗ってませんが、出来上がりはこんな感じです

パム・グリアのミニチュア。原型の写真は撮ってないです

CGスキャンが発達した現在では、このような造形は、もう 消えゆく伝統芸能ですね...。今でも、おもちゃとかでは使われていますが、映画ではもう、役者の顔をミニチュアで造形するなんてことはないですね。

この仕事の後、日本のコマーシャルの仕事で日本に行く機会をもらいました。富士ゼロックスのコピー機のCMです。E.T. が出てきて、「ドリームカラー」と呟く奴ですが、見たことある人はいるでしょうか?

スピルバーグ 監督は E.T. を非常に大事にしており、うちらのクルーに混ざって、ドリームワークス 社から 「ちゃんと E.T. が撮られているかを監視する人物」 が1人送られていました。贅沢ですね。

この CM の E.T. は確か、実際に映画で使われた型から作っていたと思います。私の仕事は 「パペッティア」 と言って、その E.T. を生きているように操る仕事です。私が所属する Special Make up Effect(SFXメイクアップ)、Make up FX という仕事は、アメリカでも独特な仕事で、皆、遊びながら仕事をしている感じで、撮影現場で自分たちの出番がないときは、いろいろなものを持ち寄って遊んでいます。

この日本での撮影では、待ち時間は Hockey suck という蹴鞠みたいなもので ひたすら遊んでいました。4人ほどで輪になって、お手玉みたいなやつを落とさないように ひたすら蹴り合うのです。この時、日本の人たちには申し訳ないですが、仕事の場をアメリカに選んで良かったと本当に思いました。

何しろ、日本のメイクの人たちは、待ち時間やることが何もないのに、何もせずにじっと立っていなければいけないようで、こちらから見たら、それこそ 無駄な時間だと思ったのです。こちらは遊んでる分、やる時になったら、思い切りやれるのです。日本が改善すべきところだと心底思いました。

デル・トロ監督との出会い

その後、ロサンゼルス(L.A.)に戻って、映画『ミミック』の仕事が始まりました。そうです。デル・トロ監督のハリウッドデビュー作です。デル・トロ監督は、地元メキシコで作った初監督映画『クロノス』(原題:La invencion de Cronos /1992年)という作品が認められ ハリウッド作品の監督に雇われた 当時まだ無名の監督でした。私は、この『ミミック』のクリーチャーの初期のデザイン造形を 1体しました。

 

『ミミック』(原題:Mimic /1997年)
※画像は2014年のディレクターズカットDVD のパッケージ

 

しかし、私はその頃、『遊星からの物体X』『ロボコップ』などの特殊メイクを手掛けた 憧れのアーティスト、ロブ・ボーティンのスタジオで働くチャンスを得たため、その1体の造形だけで、そこの仕事を辞めたのでした(※エピソード 54 参照)。この時、デル・トロ監督にも会っているのですが、あまり印象は残っていません。

デル・トロ監督にとって『ミミック』はハリウッド的で、あまり彼のやりたいようにさせてもらえなかったらしく、その後、メキシコに戻って、『デビルズ・バックボーン』(原題:El Espinazo del Diablo /2001年)という素晴らしい映画を作りました。

 

『デビルズ・バックボーン』(原題:El Espinazo del Diablo /2001年)

それがうけて、再び、映画『ブレイド2』(2002年)の監督としてハリウッドに雇われたのでした。私は『ブレード』の 1 と 3 の仕事はしているのですが、2 だけは、たまたま携わっておりません。そして、次に デル・トロ監督と出会ったのは『ヘルボーイ』(2004年)での仕事でした。その話は また後日にしましょう。

 

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