【特別寄稿】造形家/映画監督 片桐裕司の いろいろあっていいんじゃない?|エピソード21:私に芸術の才能はない

ハリウッドで彫刻家、キャラクターデザイナー、映画監督として活動。日本で開催する彫刻セミナーは毎回満席の片桐裕司さんのエッセーです。肩の力を抜き、楽しんでお読みください!


片桐 裕司 / HIROSHI KATAGIRI
彫刻家、映画監督

東京生まれ、東京育ち。1990年、18歳のときに渡米。スクリーミング・マッド・ジョージ氏の工房で働きはじめる。98年にTVシリーズ『Xファイル』のメイクアップでエミー賞受賞。その後、『ターミネーター』『エイリアン』『ジュラシックパーク』のキャラクタークリエーション等で有名なハリウッドのトップ工房スタンウィンストン スタジオのメインアーティストとして活躍(2000〜6年)『A.I.』『ジュラシックパーク』『タイムマシーン』『宇宙戦争』等の制作に携わる。現在、フリーランスの造形家、映画監督として活躍中。
東京生まれ、東京育ち。1990年、18歳のときに渡米。スクリーミング・マッド・ジョージ氏の工房で働きはじめる。98年にTVシリーズ『Xファイル』のメイクアップでエミー賞受賞。その後、『ターミネーター』『エイリアン』『ジュラシックパーク』のキャラクタークリエーション等で有名なハリウッドのトップ工房スタンウィンストン スタジオのメインアーティストとして活躍(2000〜6年)『A.I.』『ジュラシックパーク』『タイムマシーン』『宇宙戦争』等の制作に携わる。現在、フリーランスの造形家、映画監督として活躍中。

エピソード21:私に芸術の才能はない

はっきり言って「自分には芸術的才能は無い」。少なくとも自分ではそう思っている。では何故、そんな人がこういう仕事をできるようになったのか? 答えは簡単。好きだったからである。この仕事をやりたくて頑張ったからである。

以前書いた通り、自分が初期に作っていたものなんて、ホントひどい物である。L.A.で10週間の学校に行き、仕事なんて無かった時、自分の作品をためるために19歳のころから真剣に彫刻の必要性を感じ、自分なりに作品を作り始めました。出来は、もうホント最低。今、自分がセミナーで教えてる生徒たちの方が、その時の自分よりいい物を作ってるってくらい。 だけども、とにかく作った。毎日作った。何とかインターンで憧れの SFX の仕事を手伝えるようになってからも、朝から晩まで仕事をし、他のみんなが帰った後に残って、自分の作品を作っていた。とにかく、その時は、映画の仕事が出来るのが嬉しくて楽しくて仕方がなく、家で寝ている以外は仕事をしていました。

制作中の片桐氏(※急激なレベルアップ後)

だからといって、それほど上手くなったかというとそうでもない。むしろ、この努力の量の割には結果はよくなってない。多少の成長はあるものの、他のうまい人と比べたら足元にも及ばない。「自分には才能が無いんだ」というコンプレックスがずーーーーっとあった。いや、むしろ、コンプレックスというよりも恐怖に近いものであった。それから年月も経ち、それなりにアーティスティックな事も仕事でさせてもらえるようになったが、レベルはまだ平均って感じで、周りには自分よりもっと上手い人が沢山いた。その人たちの初期の作品を見てもそれなりに上手なので、自分の過去を比べて「やっぱり自分には才能が無い」という不安がぬぐいきれずにいた。

27歳の頃である。この仕事を始めて8年目。仕事もそれなりの地位が出来、経済的にも多少豊かになってきたが、ふと気がつくと、お金のために仕事をしている自分に気づく。私生活の方でも色々と問題が起こり、自分の生きがいという物を見失ってしまった時期があった。振り返ると、この仕事を始めた頃は、お金なんか無くたって楽しく、本当に、この仕事をする事に生きる喜びを感じていた。自分の生活のすべてをこの仕事にささげてきた。

しかし、それだけの努力をしてきたにもかかわらず、周りを見ると「自分は何でこんなに出来ないんだ」と思わされるような上手い人が多く、本当に自信を無くし、落ち込み、「今までの自分の人生はなんだったんだろう」って、もの凄く悲しくなり「この仕事をやめて何か全然違う別の事をやろう」と他の仕事を探したくらいに自信を失ってしまったのであった。考える事は後悔ばかり。今までの人生がまったく無駄だった。その間、何か他に自分にあったことをやればよかったと。

仕事を探してみても、やりたい事なんて見つからない。毎日、怠惰にむなしく時は過ぎていった。悩んでいてもむなしいだけなので、自分の気持ちをあれこれ整理してみる事にした。とにかく考えられる事は、自分には、今は、映画の Special Make up Effect(SFXメイクアップ)という分野の仕事しかない。

まず、その仕事は好きなのか?
やはり好きである。

では、この漠然とした幅広い分野の中でも何をするのが好きか?
それは彫刻であろう。

では彫刻の中でも何を作りたいか?

と、順を追って、考えているうちに、ある重大な事に気づいた。

それは、ここ数年というか、この仕事をはじめた時から「上手くなりたい上手くなりたい」という頭ばかりで、何か誰かが凄い物を作れば、自分も何かそういう似たような物をつくり、リアルな怪物を作るにはリアルな人間が出来なきゃいけないから、やらなきゃいけないという気持ちで人間を彫刻したりで「やらなきゃやらなきゃ」という半分強迫観念というものに追われて、何年も自分を押し殺して物を作っていた。

人のまねをしても、当然、その人よりいい物ができるわけが無い。

ここで初めて純粋に「自分が作りたいものは何か」という根本的な課題に気づいたのである。知らず知らずのうちに、精神が悲鳴をあげていたのである。それに気づき、もう一度、純粋に何を作ってみたいかを考えてみた。そして、実験してみた。「ああしなきゃこうしなきゃ」という事を考えずに「ああしたいこうしたい」という気持ちで1つキャラクターを彫刻してみた。すると、驚くほどすんなり面白いものが出来てしまった。そして、もう1つ違うキャラクターを同じように彫刻してみた。これまた、いい感じに出来た。それからである。

その時の記念すべき作品(もちろん今見たらまだまだである)

今までは、周りを見て、比べて、その中の自分を気にしてしょうが無かったのが、視点を変え、自分の内面を見つめることによって、周りが気にならなくなってきた。「うぬぼれ」とは違う「自信」というものが自分の中に芽生えてきた。それからである。急激なレベルアップを体験したのは。今までの7、8年で例えばレベル3くらいまで上がったとしたら、それからの1年でレベル20くらいまですっ飛んでしまった。ホイミしか使えなかったのが一気にベホマズンを使えるようになった気分である。もしくは、村上ショージがさんまになったような気分。それほどである。

そして、気が付けば、今まで雲の上の存在だったような、この業界のアーティストの作品も冷静に見れるようになり、また、真似もしなくなった。そして、向こうも自分を認めてくれるようにもなった。7~8年目で諦めていたら「自分は才能が無かったから」で終わっていたであろう。しかし、諦める直前に、もうひとふんばりあったから、もっと上まで行く事が出来た。

今では、人からは「当然、才能があったんだねぇ」とか言われるが、その才能があるかないかを分けるポイントを乗り越える事ができた物は何か?

それは、好きだったからである。

好きだったから続ける事が出来た。
好きだったから諦められなかった。
好きだったから努力が出来た。

本当にただそれだけである。

冒頭にも書いたように「自分には才能が無い」と思う。本当に思う。しかし、続ける事によって、そのコンプレックスを乗り越えることが出来た。 そして今は「才能が無い事」が自分の自慢でもある。

これから何か、自分の腕一本で生きていこうとされてる人、才能が無いかと悩んでる人。そういう人たちに私は、声を第二指定遺体。いや、大にして言いたい。

10年続ける事をしないで自分には才能が無いなんて言うな。
才能が無いなんて、そんな基準はない。誰が計るでもない。
自分で勝手に決め付けて、自分で勝手に諦めているだけである。

すべての人はあらゆる可能性を持っている。
できない人は自分でそう決め付けているだけだ。

世の中の、才能無い人々よ。
負けるな。がんばれ。

 

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■ハリウッドで活躍するキャラクターデザイナー 片桐裕司による彫刻セミナー
http://chokokuseminar.com/

映画『ゲヘナ 死の生ける場所 (Gehenna Where Death Lives)』予告編 (2分8秒/ 監督:片桐裕司 / 日本語字幕)