【特別寄稿】造形家 / 映画監督 片桐裕司の いろいろあっていいんじゃない?|エピソード94:ハリウッド特殊メイク業界の移り変わり

ハリウッドで彫刻家、キャラクターデザイナー、映画監督として活動。日本で開催する彫刻セミナーは毎回満席の片桐裕司さんのエッセーです。肩の力を抜き、楽しんでお読みください!


片桐 裕司 / HIROSHI KATAGIRI
彫刻家、映画監督

東京生まれ、東京育ち。1990年、18歳のときに渡米。スクリーミング・マッド・ジョージ氏の工房で働きはじめる。98年にTVシリーズ『Xファイル』のメイクアップでエミー賞受賞。その後、『ターミネーター』『エイリアン』『ジュラシックパーク』のキャラクタークリエーション等で有名なハリウッドのトップ工房スタンウィンストン スタジオのメインアーティストとして活躍(2000〜6年)『A.I.』『ジュラシックパーク』『タイムマシーン』『宇宙戦争』等の制作に携わる。現在、フリーランスの造形家、映画監督として活躍中。
東京生まれ、東京育ち。1990年、18歳のときに渡米。スクリーミング・マッド・ジョージ氏の工房で働きはじめる。98年にTVシリーズ『Xファイル』のメイクアップでエミー賞受賞。その後、『ターミネーター』『エイリアン』『ジュラシックパーク』のキャラクタークリエーション等で有名なハリウッドのトップ工房スタンウィンストン スタジオのメインアーティストとして活躍(2000〜6年)『A.I.』『ジュラシックパーク』『タイムマシーン』『宇宙戦争』等の制作に携わる。現在、フリーランスの造形家、映画監督として活躍中。

エピソード94:ハリウッド特殊メイク業界の移り変わり

今回は、前回の 1990年代のハリウッド特殊造形業界 の続きです。

この業界が徐々に変わっていった中で大きかった要素は「仕事が分業化されていったこと」が挙げられると思います。私が業界に入った頃は「原型彫刻」から「型取り」「成型」して「シーム処理(バリ取り)」「色塗り」、さらには「パペット」などには簡単な動かせる仕組みまで、キャラクターを作る上で全ての過程をやっていましたが、だんだんと分業化して行ったのです。

「原型彫刻」「ペイント」「型取り」「植毛」さらには「シーマー」といって、型から外したときにできるバリを綺麗にするだけの仕事までできました。それから「アニマトロニクス」と言って、クリーチャーなどの顔をメカで表情が動くようにするメカニックも育っていきました。

余談ですが、髪の毛やヒゲなどを植えつけたりする、毛専門の人たちがどんどん増えてきたのですが、女性がほとんどで、男性は何故か9割はゲイです。髪の毛に関する仕事というのは女性的な要素があるんでしょうかね?

さて、分業化のメリットは、その職種の中での技術がどんどん高まっていったことです。毎日彫刻すれば どんどんうまくなるに決まってるし、先に挙げたアニマトロニクスもロボット工学の最先端をいっていたと思います。

「彫刻」「ペイント」をする人たちは、最もアーティスティックな分野なので、業界の中でも憧れの存在です。私自身が それに乗っかれたことは非常に幸運だと思うし、それにより、彫刻の腕もペイントの腕も格段に上がっていきました。

しかし、この分業化のデメリットは、彫刻などの腕がまだまだなため、型取りをずっとやっている人が、そこから抜け出して、彫刻の仕事を得るのが難しくなってしまうことです。業界に入るからには「彫刻」「ペイント」といった「自分の成果が明らかに画面に映るようなもの」に憧れるのは当然ですが、そこに入るハードルが高くなってしまったことです。型取りをやっている人がずーっと型取りから抜け出せないでいるのです。

とにかく、造形ペイントの技術は 1990年代に格段に上がっていきました。当時は 皆仲間であると同時に、お互いをライバル視をして、ポジティブな関係がアーティスト同士にありました。誰かが特定のテクスチャーを掘るためのツールを開発すると、それが他のスタジオでも あっという間に広まるし、お互い意識しながら高め合っていました。当然、そのような技術と質の発展についてこれない人は、あっという間に脱落していきましたが、淘汰されながらも技術は着実に発展して行ったのです。

そんな中、1993年に、映画『ジュラシック・パーク』が公開されました。

その映像は私たちの業界に非常に大きな衝撃を与えました。それはまさに「VFXの革命」でした。今まで全くなかった技術が、突然出てきたのです。分業化の他に起こった変化は「デジタル技術の普及」でした。

『ジュラシック・パーク』の衝撃から爆発的に CGの技術が広まっていきました。当時は、特殊メイクでクリーチャーなどを作っても、最終的な映像で とてつもなくしょぼい CGに置き換えられてしまうことが増えてきて、何度も非常に悔しい経験をした時期でもありました。例えば、映画『レリック』(原題:The Relic、1997年)、『スピーシーズ 種の起源』(原題:Species、1995年)などでしょうか。

 

クリーチャーは凄い出来なんですが、CGのシーンがほんとひどかった

パペットの写真です。見ての通り とてつもないクオリティなのですが、
映画では、どうしようもない残念な CGに置き換えられてしまいました

その時期に CGの会社で造形を教えたことがあるのですが、当時のCGアーティストたちが言っていたのは「実際に造形ができるアーティストたちが、ツールとしてコンピューターを使い出すのが恐ろしい」とのこと。CGアーティストの人口もまだ少なく「コンピューターをいじれる」というだけで仕事についている人たちが非常に多い。だから「優秀なアーティストが これからCGを使い出す前に、自分たちの腕を上げたかった」のだそうです。当時は そんな感じだったようなので、クオリティはあまり期待は出来ませんよね。

ただ、それらの駄目な時代のCGの実験的要素がなければ今の発展はなかったと思うし、それを思うと「新しいものをどんどん取り入れる」ハリウッド映画の懐の深さを感じざるをえません。

そんなわけで90年代というのは、特殊メイク/特殊造形業界の発展と同時に、しょぼすぎるCGが横行した時期でもありました。

もちろん、稀に、映画『スターシップ・トゥルーパーズ』(原題:Starship Troopers、1997年)などの、とてつもないクオリティのCGもありましたが。

 

このCGは凄かった!! ちなみに私は、この映画のパート3 で仕事をしています

そして、もう1つの業界の変化は「労働時間」です。ほぼ、どこのスタジオにも「8時スタート、5時終わり」の 8時間労働が定着したのです。だんだんと、労働基準法を守るスタジオが増え始めたのです。

これには、良い場合と悪い場合がありました。もちろん、仕事自体は楽になったのですが「時間内に収めなければならないため、クオリティを下げざるをえない」状況も多く発生するようになりました。 それは、もう今では定着して「その中でいかに質のいいものを出すか」という姿勢に変わっていったのです。

そして最後に、最も大きな変化は、ハリウッドのみならず、アメリカ国内の他の地域、そして、他の国の技術が格段に上がったこと。そして、ハリウッドよりも、かなり安い値段で制作できるようになったことでした。

いわゆる「産業の空洞化」が起きて、大作映画の制作がバンバン、イギリスやカナダなどに移行していったのです。世界をリードしていた私たちの仕事が、他の地域に取られていったのです。おそらく、それが最も大きな変化だったのではないかと思います。

私は、映画を1本「監督」しましたが、それだけでは まだ生活はできないので、今も、この特殊メイク・特殊造形業界にいます。しかし、世界をリードして「新しいものがどんどん出てきた時代」を経験しているので、もはや、あの時の高揚感を体験できません。

「今の業界が悪い」とかそういうことを言っているのではなく、私は、その時代を生き、大作映画の主役級のキャラクター制作に携わる経験もしてきた以上、私自身の中には、この業界に もうチャレンジはありません。これからどんどん「監督」に向けて頑張っていこうという決意を新たにするために、あえて、ここに記します。

 

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