【インタビュー】クロアチアから Blizzard、そして NVIDIA へ:シニアアーティスト Toni Bratincevic 氏
Blizzard から NVIDIA に移籍。著名アーティスト Toni Bratincevic の作品、考え方、キャリア、そして、デジタルアートの継続的発展に対する意気込みについて紹介します
「彼の傑出した作品をじっくり観察すれば、最初に予想した以上のディテールを見つけることができるでしょう」
はじめに
90年代初頭、Toni Bratincevic はクロアチア南部のカステル・スクラックに住む多感なティーンエイジャーでした。友人の Amiga 500 を使い、Fantavision や Read3D のようなアプリケーションでシーンを作っていました。彼は、当時読んでいたコンピュータ雑誌で目にした作品に刺激を受けていました。
まず、PC を購入するための資金を貯めました。最初に使ったプログラムはDOS用の 3D Studio 2.0 です。「3Dでシーンやキャラクターを作るのは、最初のうちはほとんど趣味でしたが、Alias Maya のようなプロ用のソフトを学び、自分のキャリアを追求し始めることにしました。ITの学位を取得しましたが、アーティストとしては独学です」
彼は、今でも技術を向上させるために熱心に励み、多くの個人プロジェクト(たいていは3D静止画)に取り組んでいます。毎回、別の方法で挑戦し、技術を向上させ、新しいものを創り出そうとしています。
この訓練によって 常に新しいことを学ぶ道に進み、今でもそれを続けています。Toni は言います。「この業界は日進月歩なので、常にトップを走り続ける必要があるのです」
01 It Was You
「It Was You (それはあなたでした)」
Toni の作品は多岐にわたるため、どれか1つを取り上げるのは難しいほどです。彼の傑作をじっくり観察すれば、最初に気づいた以上のディテールが見えてくるでしょう。その一例が上の図です。「It Was You」は個人プロジェクトとして始まり、主に Maxwell レンダラーを学ぶためのものでしたが、それだけに留まらず、ある時点で、シーンの周囲に小さな物語を加えることにしました。
「これは、幼い頃に幻影を見た少年の物語(フィクション)です。後に、その幻影は少年の人生にとって特別な人物の誕生の瞬間であると判明します」
三輪車が階段の下にぽつんと置かれたまま、階段の吹き抜けからまばゆい閃光が放たれています。壁の埃っぽい漆喰の質感が感じられるほどリアルです。Toni によると、環境デザインのインスピレーションは、子どもの頃によく遊んだ場所から来ており、古く汚れ、ほとんど廃屋同然でしたが、個性的な家だったと言います。
「ピカピカに磨かれたものよりも、歴史のある環境にいつもインスピレーションを受けています。私が作るイメージの多くは、私の人生を映し出しており、私に起こったこと、時には他の人に起こったことです。「It Was You」は、私が妻と出会った瞬間にさかのぼり、その経験からコンセプトを導き出したイメージの1つです」
シーンを作り始めるとき、彼はたいていシンプルなブロックアウトから始めます。基本的な形を作り、カメラアングルを設定し、力強い構図を確立します。これらの重要な構造がきまり、準備が整ったら、多くの要素を磨き上げ、新しいディテールを作り出し、それを中心にさらなるアイデアを展開していきます。
02 Age of Voltures
「Age of Voltures (強者の時代)」
もう1つのイメージ「Age of Vultures」には、たくさんの秘話があります。実際、Toni の作品の多くには、モデリングとライティングの緻密なディテールが施されています。
モデリングはほぼすべて 3ds Max で、一部のスカルプトは ZBrush、テクスチャリング は Photoshop で行いました。本作は Redshift のコンペ向けに制作され、今でも Redshift のベンチマークとして使われています。
「このイメージの目的は、集団や群集心理、あるいは宗教的、政治的、社会的なイデオロギーが、人々から個性や自分で考える能力を奪ってしまう様子を説明することでした。この物語は、制作過程において非常に重要な要素です。なぜなら、このアイデアの背後にあるメッセージを表すために、何をモデリングし、どのようにテクスチャリングし、どのように光を使うかについて、芸術的な決断を下すのに役立つからです」
03 The World Above
「The World Above (天上界)」
ウェブの黎明期、世界中のあらゆる場所のデジタルアーティストがほぼシームレスにコラボレーションできるコミュニティが数多く出現しました(CGTalk、CGSociety、3dtotal など)。今では当たり前のことですが、当時のクリエイターにとっては心躍る時代でした。Toni は、現在の基準からすると非常に低速なマシンで、メモリに収まるように「The World Above」をいくつかのレイヤーに分けてレンダリングしていたそうです。それは良き時代だった!と振り返っています。
「当時のコミュニティは今とはまったく違っていました。オンラインコンペに投稿すると、たくさんのコメントや批評が返ってきたのを覚えています。それが最大の違いです。人々は批評を受け入れ、それが自分の作品を向上させる最良の方法のであると知っていました。私はそのようなコンペに参加することで、上達するためのヒントやコツをたくさん集め、その知識を持って業界で仕事を得ることができたアーティストの1人です」
「最近でもネット上で多くのアートコンテストが開催されていますが、雰囲気は以前と異なります。世界は変わり、それに伴って私たちの業界も変わりました。最近では、よりプロフェッショナルで工業的になったとも言えるでしょう。しかし、当時は何か特別なものがありました。全員が黎明期にあった業界の発展に参加し、懸命な努力と貢献によって業界を成長させているという感覚を持っていたのです」
04 Blur での日々
「Colony X Wide Cameras (広角カメラで撮影したコロニーX)」
長期にわたる懸命な努力の末、Toni は、ついにアメリカへの移籍を果たします。母国から大西洋を渡り、カリフォルニアの陽光降り注ぐサンタモニカに拠点を置くBlur で仕事に就いたのです。当時、ロサンゼルスで Toni を取材し、2012年の新生活について尋ねたのを覚えています。
「最初、Blur ではシーンアセンブラーとして雇われました。ハイエンドのスタジオだったので、ヨーロッパで 3~4人の小規模スタジオから来た私にとって、大きな飛躍でした。スタジオに入った最初の2、3カ月はとても辛かったのを覚えています。周りには、優秀なアーティストがたくさんいて、クオリティの基準が高かったのです。アーティストとして まだ少し未熟で、追いつこうと必死でした。しばらくすると "いい仕事をしているから、このまま努力を続けるべきだ" と同僚が声をかけてくれ、うまく仕事をこなせるようになりました」
その後、シーンアセンブラーとしてプロジェクトを率いるようになります。さらに『スター・ウォーズ』の シネマティック(ゲーム内の映像)から、デッドプールの 短編CGI(後の映画『デッドプール』のきっかけとなりました)まで、複数のプロジェクトに携わりました。『デッド プール』の監督 ティム・ミラー は Blur の創設者であり共同経営者です)。
「Blur での4~5年間で、本当にたくさんのプロジェクトに携わることができました。締め切りが厳しく、短いスケジュールの中でいかにして質の高いアートを提供するかを常に考えていました。私のキャリアにとって素晴らしい会社であり、今まで下した中で最も重要な選択となりました」
05 リアルタイム レンダリングの登場
「Dominius V (惑星ドミニウス5)」
インタラクティブなリアルタイム レンダリングは、20年前にゲーム業界でキャリアをスタートしたシニアアーティストにとって、常に夢の技術でした。Toni は当時、最先端の技術を使って仕事をしながら、締め切りに挑戦した経験について話してくれました。
「以前は、ワイヤフレームでシーンを表現していたので、レンダリング後にどのように見えるかは推測するしかありませんでした。それには時間と忍耐が必要でしたが、どうにか初期の時期を乗り切りました」
現在、リアルタイム レイトレーシングは急速に進歩しており、ビデオゲームでも使われ始めています。
「それは、私たちの働き方を変えました。キャラクターやアセットのルックデヴが可能となり、プレイ中に IPR でレイトレーシングを使ったあらゆる変化を確認できるようになったのです。これにより、生産性が大幅に向上しました。また、作業しながら完成形を見ることができるため、技術にあまり詳しくない多くのアーティストたちが、この業界に参入する余地も生まれました。競争は常に素晴らしいものであり、最終的に全員に利益をもたらしてくれます」
Toni はいつも、駆け出しの人たちへ率直なアドバイスをくれます。彼によると人脈作りが非常に重要で、注目を集める唯一の方法は、懸命に働き、自分のアートを公開することだと言います。今でも、自分の作品を公開できるギャラリーサイトがたくさん存在します。
「最近では、大手スタジオで働くフリーランス アーティストが、別の国からリモートで仕事をしているのをよく見かけます。移住できない場合、それは素晴らしい選択肢になるでしょう」 しかし、彼はスタジオの一員として出勤し、他のアーティストと一緒に働くことにも価値があると付け加えます。なぜなら、それは非常に刺激的で、芸術的なスキルを向上させる良い手段になるからです。
「ビデオゲーム業界には、まだまだ成長の可能性があると信じています。それはテクノロジーの進歩によってもたらされるでしょう。Unity や Unreal のようなゲームエンジンを使うことで、小規模のチームを作り、独自のゲームを簡単に開発できるようになりました。これらのエンジンは、小規模の開発者でも大手スタジオと競争できるような、素晴らしいイノベーションの場所を生み出したのです。最近では、世界のどこにいるかなんてほとんど関係なくなってきました。ビデオゲーム開発のためにチームと物理的に同じ場所にいることは、もうそれほど重要ではありません。これらの進歩が将来、私たちをどこに導いてくれるのか、楽しみでなりません」
06 Blizzard Entertainment とその後
「Consumed (喪失)」
Toni は Blizzard Entertainment のシネマティック部門で主任アーティストに昇格し、そこでも多くのプロジェクトに携わりました。例えば、『World of Warcraft』『Starcraft』『Overwatch』『ディアブロ IV』『ハースストーン』などのゲームのシネマティック(ゲーム内の映像)制作に参加しています。彼が特に気に入っているプロジェクトの1つが、エンバイロメント リードとして参加した『ディアブロ IV』のシネマティックです。
「この作品では、同僚や臨時のアーティストたちの助けを借りながら、多くの環境の3Dコンセプトを制作しました。その後、デジマット(3Dジェネラリスト)部門に移り、同シネマティックの第2、第3のオープニングショットを制作しました。環境の構築、小道具やアセットの作成、アセットのモデリングとテクスチャリング、2つのシーンのライティングなど、多くの作業がありました。とてもやりがいがあり、その年の BlizzCon(ブリズコン、同社の年次イベント)で人々の反応を見るのは楽しかったです」
その後、Toni は 約10年在籍した Blizzard Entertainment を退社しました。これは 長い間 考え抜いた末の大きな決断でした。
「Blizzard ではとても楽しく過ごすことができ、素晴らしい労働環境もありました。しかし、NVIDIA で働くチャンスはとても魅力的でした。尊敬する人々と一緒に働けること、そして私たちの働き方を変えてきた技術に携われることは、素晴らしい機会でした。今日の 3Dアーティストが驚異的な作品を生み出すことを可能にしたテック企業で働けることは、とても光栄で、身が引き締まる思いです」
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