【特別寄稿】造形家 / 映画監督 片桐裕司の いろいろあっていいんじゃない?|エピソード4:いつからでも遅いという事はない

ハリウッドで彫刻家、キャラクターデザイナー、映画監督として活動。日本で開催する彫刻セミナーは毎回満席の片桐裕司さんのエッセーです。肩の力を抜き、楽しんでお読みください!


片桐 裕司 / HIROSHI KATAGIRI
彫刻家、映画監督

東京生まれ、東京育ち。1990年、18歳のときに渡米。スクリーミング・マッド・ジョージ氏の工房で働きはじめる。98年にTVシリーズ『Xファイル』のメイクアップでエミー賞受賞。その後、『ターミネーター』『エイリアン』『ジュラシックパーク』のキャラクタークリエーション等で有名なハリウッドのトップ工房スタンウィンストン スタジオのメインアーティストとして活躍(2000〜6年)『A.I.』『ジュラシックパーク』『タイムマシーン』『宇宙戦争』等の制作に携わる。現在、フリーランスの造形家、映画監督として活躍中。
東京生まれ、東京育ち。1990年、18歳のときに渡米。スクリーミング・マッド・ジョージ氏の工房で働きはじめる。98年にTVシリーズ『Xファイル』のメイクアップでエミー賞受賞。その後、『ターミネーター』『エイリアン』『ジュラシックパーク』のキャラクタークリエーション等で有名なハリウッドのトップ工房スタンウィンストン スタジオのメインアーティストとして活躍(2000〜6年)『A.I.』『ジュラシックパーク』『タイムマシーン』『宇宙戦争』等の制作に携わる。現在、フリーランスの造形家、映画監督として活躍中。

エピソード4:いつからでも遅いという事はない

新しい事をするのは何歳になってもできるのです。それまでにどれだけ色々な経験を積めるか。そして、これからする経験によって、今からの人生も変えられるのです

30歳くらいの時に「映画業界からはなれて彫刻家としてやってみよう」と決心した時があって、まあ、それなりにがんばってみました。アートスクールで彫刻を教え、自分の彫刻作品を創って発表してみたりといろいろ活動をしてみました。それでは、まだ食べていけなかったので、映画の仕事はちゃんとしてたけど。

だけども、がんばればがんばるほど苦しくて、「もし、これで食べていけるようになったとしても、一生彫刻を続けたいか?」というと、断言はできませんでした。「アーティストはこうあるべきだ」という堅苦しい理想を掲げて、自分の本心に気づかずにいたからです。頭が心を支配して、自分の本当の心を潰していたのでした。

制作中の片桐氏

本当の心、自分の中でどうしてもやりたかった事、特殊メイクよりも造形よりも昔からやりたかったけど無理矢理押し殺していた物。それが「映画監督」でした。

自分は本当にちっちゃい頃から映画をみまくっていて、小遣いの大部分は映画に使ってたし、高校の時は一人で映画館をはしごしていました。高校の時に日本映画学校の資料を取り寄せて検討したのを覚えています。ただ「映画を作る」という事があまりにも漠然としていたために、その中でも、かなり興味があって好きだった特殊メイクという道を選びました。

それはそれでよかった訳ですが、20歳の時、中学の時の友達が大学の映画サークルで作った映画を見せてくれた時に心底「しまったー!」と思いました。「本当にやりたいのは、こっちじゃんか!」って。でも今更、大学などに行く金もなく、しかたなく、映画撮影技術ハンドブックなどという訳の分からない技術書を買って気を紛らわせていたのを覚えています。それから長い間、映画を作りたいという気持ちを押し殺して、今更無理だと決めつけていたのです。

確か2001年頃のことだと思います。仕事場で誰かが自分のコンピューターで映像の編集をしているのを見かけました。「エーーーーーーー!!!!??? そんなことできるの!!!?」とそれはもう衝撃でした。10年前は考えられなかったことが個人レベルでできてしまうのです! それから、心の底に押し殺していた気持ちがムラムラと湧き上がってきました。そして、2003年の後半『ヘルボーイ』(2004年、監督:ギレルモ・デル・トロ)という映画の仕事が終わった時に、ある決心をしました。やはり「映画監督の道を目指そう」と。

映画『ヘルボーイ』(2004年、監督:ギレルモ・デル・トロ)

一昔前は映画を作るとなったら高い機材や高度な知識や人数などが必要で、とりあえず学校などに行かなきゃそういう事はなかなかできなかったけど、デジタル技術の普及で、デジタルビデオカメラとコンピュータと編集ソフトがあれば、個人レベルでかなりの事ができる事を知ったからです。

決心すると行動は早い。早速カメラを検討し購入。コンピューターも持ってた PC は古いので、思い切って Mac G4 を買い編集ソフトを入手。そして、とりあえず、長年やっている合気道の道場のプロモーションビデオを作ってみる事にしました。本と格闘しながら試行錯誤を繰り返し、なんとか完成させて道場で試写会。大好評でした。

もちろん、ライトや音声など技術的に稚拙なところがいっぱいあるけど、この作品を通じて実感したのは「本当に自分は映像を作るのが好きだ」ということでした。編集中、何か少しでも気に食わないと、とことん自分で100%納得するまでやりなおしたし、寝ていても何か気になる事を思い出したら、夜中に起きてやったりとか、その作品を作るために、自分が100%完全燃焼しないと終わらせられないこだわりがありました。こう書くと驚かれるかもしれないけど、彫刻では、そこまでのこだわりはありませんでした。最初の作品を作ってみて、自分がいちばん没頭できるのはこれなんだと実感できたのです。 

「映画監督を目指そう」と決心して実際に行動を始めたのが31歳の時。そして、最初の長編映画『ゲヘナ 死の生ける場所 (Gehenna Where Death Lives)』を作るまでに13年かかりました。途中、何度も「もうダメなんじゃないか」と諦めかけたこともありました。何度も挫折も失敗もしました。それが無駄だったかといえば、決してそんなことはないと今は堂々と言えます。40歳になった時は、まだ映画監督の夢は叶っていませんでした。だけども、それまでのチャレンジした経験や失敗から学んで、また、何か違う新しい事を始める度胸も行動力もついたと思います。たとえ、最初に見た夢が叶わなかったとしても、違うチャレンジをしていたと思います。

新しい事は何歳になってもできるのです。それまでにどれだけ色々な経験を積めるか。そして、これからする経験によって、今からの人生も変えられるのです。もう歳だからとか、自分なんてと思うのはやめましょう。

常に今からです!

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★映画『ゲヘナ 死の生ける場所 (Gehenna Where Death Lives)』予告編(2分8秒/ 日本語字幕)

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■ハリウッドで活躍するキャラクターデザイナー 片桐裕司による彫刻セミナー
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