【特別寄稿】造形家 / 映画監督 片桐裕司の いろいろあっていいんじゃない?|エピソード65:貧乏のありがたさ – アメリカ生活 3種の神器
ハリウッドで彫刻家、キャラクターデザイナー、映画監督として活動。日本で開催する彫刻セミナーは毎回満席の片桐裕司さんのエッセーです。肩の力を抜き、楽しんでお読みください!
今回は、私がアメリカで仕事を始めた頃(19~20歳頃)のお話。以前にも書きましたが、19歳の時に、インターンとして スクリーミング・マッド・ジョージ 師匠の工房での手伝いを始めました(※エピソード56:はじめての映画の仕事 -『Freaked』参照)。インターンだから給料はもらえません。何しろ 合法的に働けるビザがないのですから。
「どうやって生活していたか」というと、ものすごくありがたいことに、親に「大学に行く代わりにアメリカに行かせてくれ」と頼んでいたので、最低限の生活費はありました。ただし「月々いくら」とかいうのではなく「生活費がなくなったら頼んで送ってもらう」という生活です。それに関して非常に引け目を感じていたので、何も買わなかったし、外食とかも一切していませんでした。
当時住んでいたアパートには、机もイスもない。テレビもビデオもない。ましてや インターネットなんかない時代。あったものは「知り合いに親切で貸してもらった布団」「プラスチックの食器」「鍋」「ラジオ」それくらいでしょうか? それほど何もなかったから、家にいても 何もやることがない。だから、しょうがないので 工房に入り浸っていたというのもあります(笑)。
今思えばそれが良かったのでしょうね。タダ働きではありましたが、昼だけは食事が出たので、当時の私の食事のメインは昼でした。若かったから、食べた食べた(笑)。それから、夜中過ぎまで、よく仕事を手伝っていたので、そういう時もご馳走してくれました。24時間オープンのファミレスのステーキ屋があるので、徹夜明けに そこに行き、「朝っぱらからステーキを食べて帰って寝る」ということもありました。
そして、数ヶ月ほどで、映画『Freaked』の撮影が始まり、ロケーションに行きだすと、朝はケータリングトラックがいて 好きなものをオーダーでき、クラフトサービスには常に食べ物があり、朝も昼も夜もタダでご飯が食べられる。「ここは天国か!」という感じで、撮影中以外は常に何か食べていました。そうやって、憧れの仕事に誇りを感じながら、充実した毎日を送っておりました。「美味しいものが食べれる」という当たり前のことのありがたみを知るためにも「貧乏生活というのは貴重な経験だった」と思います。
それから月日が流れ...。10ヶ月ほどそういう生活をしていた時でしょうか。ある仕事で1000ドル(13万円)くらいのお金をもらいました。当時、そこまで大きなお金をもらったのは初めてだったので「少し自分の生活を豊かにしよう」と思い立ちました。余程嬉しかったのか、20年以上たった今でも 買い揃えたものの値段までよ~く覚えています(笑)。
まずは「ベッド」。個人売買を探して 120ドル(1万5千円くらい)で買いました。次に「テレビ」。これは質屋に行って、60ドル(8千円くらい)で買いました。そして最後に...「スーパーファミコン」。これだけは新品です!
新品で買った スーパーファミコン。アメリカでは Super Nintendo(スーパー任天堂)という名前です
そして、ソフトは『ゼルダの伝説 神々のトライフォース (The Legend of Zelda: A Link to the Past)』。まさに ハートのレベルがあがりました!
スーパーファミコン(Super Nintendo)と一緒に買った『ゼルダの伝説 神々のトライフォース (The Legend of Zelda: A Link to the Past)』
「ベッド」「テレビ」「スーパーファミコン」 まさに 3種の神器! この3種の神器をすべて揃えた時、私は、珍しく早く家に帰り、ベッドに横になり、『ゼルダの伝説』をプレイするという極上のひとときを手に入れることができたのでした。「幸せとはこういうことなんだ!」とベッドの上でプレイしながら、心の底から、そう感じていたのを本当によく覚えています(笑)。
「あれもない、これもない」と嘆いてばかりでは不幸なだけ。「あるものを再確認して、持っているもののありがたみを知る」 それは、今でも自分が戒めにしている大事なことです。と、今回は綺麗に締めてみました。うんこ。
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